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短冊に、脱原発と戦争のない世界への願いを込めて、、7月6日七夕ウォーク

今年も「原発とめよう」の夏恒例の企画。どなたでも参加できます。浴衣姿でのそぞろ歩き大歓迎。7月6日(土)、出発は飯能南口を16時、解散は飯能北口17時30分。コースは駅~消防署~北口~シダックス~東飯能西口~広小路~銀座通り商店街~北口、約1時間30分の予定です。小雨ならやります

楽器やメッセージボードなどご持参ください。
問い合わせ先:080-1060-0772(鈴木さん)、090-5324-6412(川野さん)。

昨日の「後送・自衛隊病院の建設やめて」のスタンディングは9人参加。私は涼しい欅の下に。IさんやYさんとKさんなどは、交差点から直視できるいつもの場所に。頭が下がりました。冷たい飲み物の差し入れ、ごちそうさまでした。

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やんばるの少年兵「護郷隊」~すべては「国体護持」のために

名護市教育委員会市史編さん係・川満彰さんのお話をはじめて伺った。会場は満席。延々と積み重ねてきた聞き取り調査の蓄積は、「陸軍中野学校と沖縄戦」(2018年5月、吉川弘文館刊)に詳しく記述されている。

ご本人が語る幾十人、幾百人からの詳細な聞き取りに至る、自前の行動や内容にまず圧倒された。穏やかに川満さんが語る、惨劇の恩納村も恩納岳もが目に浮かぶ。いつ訪れても、今はあんなにも青い海と緑の森、、、。そしてしみじみと考えたのは、「仕事」が持つ力強さ。このことだった。

小雨のなか帰路を急ぎながら、かなり昔市役所の小さな部屋で、懸命に作業をしていた職員を、思い出した昨夜だった。軍都はおろか、近世から現代に至る「入間市史」もそのような仕事によって成し遂げられたからである。

「沖縄戦もう1つの戦争ー少年兵が戦ったゲリラ戦とは何だったのか」6.23(日)

練馬の集い実行委員会(練馬全労協03-3994-2088、もあい練馬(柏木さん)090-8311-6678)の企画ですが、お知らせします。6月23日(日)18時開会(17時30分開場)、Coconeri3階、区民・産業プラザ研修室1、参加費500円

講師:川満彰さん:名護市教育委員会市史編纂担当

資料として部分上映:「あの日、僕らは戦場で~少年兵の告白~」(NHKドキュメント、2015年8月放映)

「大本営は米軍上陸後にゲリラ戦を行うため、陸軍中野学校出身の将校を1944年には沖縄へ、45年には全国各地に送りこみます。
沖縄では、徴兵年齢に達しない17歳以下の少年も「護教隊」として召集、志願させ、苛酷な訓練をして戦場へと送りこみました。「護教隊」がゲリラ戦を戦ったのは、地上戦が行われ、降伏前に米軍に占拠された沖縄北部においてだけでしたが、本土決戦に向けて全国で沖縄と同じ作戦が計画されていました。
この史実は長いあいだ語られることなく、歴史の闇のなかにありました。
今回お招きする川満彰さんは、北部で元少年兵たちからの貴重な証言を集め、資料の編纂に力を注いでこられました。
川満さんの協力を得てNHKアニメドキュメント「あの日、僕らは戦場で~少年兵の告白~」が2015年に放映され、昨年2018年には、三上智恵・大矢英代監督による「沖縄スパイ戦史」が公開されました。
川満さんに、これまで知られていなかった沖縄戦におけるもう1つの戦争の実相をお話しいただきます。」(お知らせビラ原文のまま、以下略)


会津の山間は藤とつつじの花盛り

新潟での所用を済ませ、日本海側から郡山に。途中、目にいっぱいの緑。薄紫の山藤が高木に絡み付き、橙色の山つつじも満開。タイサンボクの白い花まで、西会津までに3カ所も。遥かに見える高峰には残雪。

高齢の姉の見舞いながら、旅の解放感で、心は昨日からウキウキ。飛び込んでくる関東圏のニュースで、胸はきりきり苦しいのに、茫々とした自然に触れると、何故かつかの間ほっとする。「やさしさ」に包まれた数日だった。

私たちが目指してきたとされる、「学歴」とか「競争」や「資格」とか「富・金」の有る無しの終着地点をこの国の実相に見る思いだ。「勝者」と言われる側になったところで、失った多くのものがあると既に多くの人は気づいているはず、、、、。

今週はいつもの暮らしのリズムに戻そう。


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